平成の海に沈んだ少女

 南条あやに感化され、何度日記を書いてみようと思ったことだろう。

 自傷行為とOD(オーバードーズ)を繰り返していた当時の私は、新しい筆記帳に筆を走らせた。しかし、途中で書くことが思いつかなくなるか自分の書いた文字の汚さに嫌気がさし、筆記長を放り投げることの繰り返しだった。

 一読者として、「南条あや」を書き残そう。

 18歳の女子高校生、南条あやの書いた日記は「町田あかねのおクスリ研究所」の「現役高校生・南条あやの部屋」でアップロードされた。(実際には南条あやがEメールで町田あかねに日記の内容を送り、それを町田あかねがアップロードしていたそうだ。)彼女は「いつでもどこでもリストカッター」と自称し、自身のリストカットや精神科で処方された薬の話などを中心としていた。彼女は、自身の「病んでいる」を当時の流行語やネットスラングを交えた2000字〜5000字程度の明るくポップな文章へと変えてしまった。そんな彼女の日記は多くのファンがつき、日記はおろか彼女自身も「ネットアイドル」として有名にした。そして「南条あや」と鈴木純は高校の卒業式を終え20日後の1999年3月30日に平成の海に沈んだ。彼女は一人で下北沢のカラオケボックスに入店し、向精神薬を大量服用した状態で発見された。その後病院へ搬送されるも、彼女の体はすでに深い海溝に落ちていた。

私はGON!のあの向精神薬特集を見て病院に通いたいなーと熱望するようになって、今現在病院に通っています

 南条あや保護室「私の通院歴について」 一部抜粋

 彼女の文才が注目を集め、町田あかねによって専用の部屋が用意された。南条あやの物語はここから始まったのだ。

 1998年〜1999年にかけて書かれた彼女の日記は、当時の様子を「南条あや」を通して知ることができる。いきなりこんな記載をするのはと思ったが、彼女は作中で何度も自身が飲酒をしていることを告白している。これは当時未成年が飲酒を告白したとしてもスルーされるような環境だったことや、インターネットの未発達により個人の特定や晒しといった行為がそれほど危険視されていない状況だったことが読み取れる。しかしこれほどまでに堂々と、「やっちゃいましたテヘペロ☆」と言わんばかりに自分の犯罪歴を晒せた世の中だったことは異常だったのかもしれない。基本的に90年代の娯楽というのは異常だ。異常だ。

ここでも自殺や薬に関するお話をして、私は牛乳を冷蔵庫から持ってきてカルアミルクを作り、飲んでいました。

 南条あやの保健室「サッカーゴールに滴る私の血」一部抜粋

 カルアミルクとは、カクテルでよく知られるコーヒーリキュール。アルコール度数は7〜8%とやや高い。

 私は彼女のことを尊敬している。まだ発展途中だったインターネットの文化やコミュニティ拡大を支えた先駆者の一人からだ。しかし、彼女がただの普通の女の子であるということも心の片隅に置いている。最近それが日記を見ていてもひしひしと感じられるような気がするのだ。自分の体を傷つけていた当時の私は彼女と同じように、親は自分の辛さも分からないくせに、ただみんなに心配して欲しい“ワガママ病”だと言い張るどうしようもない人だと思っていた。本当にそれが辛くて悔しくて、毎晩布団に入りながら啜り泣くこともあった。しかし今になって彼女の日記を見てみると、彼女の父親の言い分も部分的にだが一理あるような気がしてならないのだ。それは私が当事者ではなく、文面的に客観的にその言葉だけを見たからかもしれないが。

なんとかこの歳まで育ててきてやったけど、それを言ったら恩着せがましいんだろうから言わねえよ!俺がどんな思いで育ててきたと思ってるんだ。それをお前は理解しているのか!お前の病気は病気じゃない!入院したらそれがクセになってホントのキチガイになるって心配してるんだよ!!若い時は誰だって入院したら楽だろうなって思うモンだよ。そこで入院するか入院しないかの違いなんだよ。そこら辺がお前の病気なんだよ!!

 南条あやの保健室「二人が死を分つまで」一部抜粋

 私ももうすぐ彼女と同じ歳になる。しかし、彼女の歳を超えてしまったかのように思える。私は彼女を見ていると、ベットの隅で縮こまって啜り泣く自分を、部屋の天井の端から見下ろしているような感覚になる。ねぎらいの言葉もこれから起こることも、泣いている自分に教えずにただ息を潜めてじっと見ているのだ。「南条あや」いや、鈴木純はどんな思いでこの歳を生きたのだろう。私も18になったら彼女の見てきた世界を感じることができるのだろうか。私は彼女の一読者として、一人のモノズキとして、そして私自身のために彼女の世界を再現したいと思った。もちろん自分の体と法律を無視しようとしているわけではない。ファーストキッチンの復刻したバジルポテトを食べ、CDショップに行く。カラオケに連日通って、一人焼肉。さくらんぼは苦手なのでやめておくことにする。彼女の感じた楽しみを体験してみたい。

 彼女の日記を見ていると、なぜか文章を書きたくなる。私も彼女のように自分の思いを、誰かへの不満を、どうしようもない叫びを、綺麗な文章に直さずにそのままを吐き出したくなる衝動に駆られる。下記の一文に私がどれだけ救われたか数えきれない。

とにかくなんだか不安でしょうがないんです。だーれーかータスケテ。

 南条あや保護室レキソタンレキソタン。」 一部抜粋

 南条あや日記は1999年3月17日「レキソタンレキソタン。」で途切れている。

南条あや」は彼女を思う全ての人の手によって、今もなお「南条あや保護室」と共に俗世を漂っている。

 

参考資料

南条あやの日記について

web.archive.org

 www.youtube.com

カルーアミルクについて

tanoshiiosake.jp

南条あやに関する曲や動画

www.youtube.com

www.youtube.com